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Lunguage Plaza 外国語語順訳散策

散策路三本:①露語国際時事ニュース見出し ②倭人伝語順読法─女王国への道;③江戸東京街道散策路

魏志倭人伝行路記事原文解析とその読み方

魏志倭人伝行路記事原文解析とその読み方:

魏志倭人伝冒頭の行路記事は、文字通り帯方の郡を拠点とし倭国三十国を巡る「道」(ルート)を主語とする論理的に記述された一文であり、使節をよこしてくる倭人三十の国の国名を上げて、史書にそれを残す答礼文の形式である。
魏使を主語とする単なるガイド文などではない。
その本道は、郡ー狗邪韓国ー対馬ー壹岐ー末羅ー伊都ー邪馬台国ー二十一国の道、
分岐ルートは、郡使の常駐する伊都から方位を変えて放射線状に走る奴、不弥、投馬の分岐路である。


冒頭の倭人の国の定義文を除いて、行路は以下の①の主行路(①)と
②~⑤の分岐路から構成されている。
主行路①は、六つの区間路(〈1〉~〈6〉)を連結する行路で、帯方郡から女王国までの
主行路①までは、行路締めくくり句で万[二千余里]と明記されている。
(実際の地図に当てはめれば、伊都國は糸島当たりに相当し、邪馬台国は
その南の王墓噴出地帯に比定される)


上記の万二千余里の内訳を定義文の地図に当てはめてみよう。
韓国は方四千里、
①その韓国を帯方郡→釜山まで斜めに縦断して「七千余里」:
この後、釜山から末羅国までのうち、海上部分、
②各千余里の三つの海峡=「三千余里」:
③対馬方四百里の南北二点外周移動距離=八百里:
④壱岐方三百里の南北二点外周移動距離=六百里:
⑤末羅国から伊都国まで陸路=五百里
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
                       合計:11900里
⑥伊都国から邪馬台国=百里弱

*注
なお、航路記事に出ている方位地点は、行路の分岐点を
示す表現である。
①韓国行路:乍東乍南: 各分岐地点で東に、南に行くと
②対馬から壱岐への「また南に渡る」は、この地点の分岐地点では、南の進路をとったという表現である。
③末羅から「東南」は、ここも他地点に向かう行路があったという表現である。それを東南方向の行路を進んだとする表現。
④伊都地点の「東南」、「東」、、「南水行」、「南」は、
 起点は伊都地点、そこからの分岐路が「東南の奴路」、「東の不弥路」、「南水行の投馬水路」(分岐路)と
 南すぐ近くの女王路(主行路)である。

定義文:
倭人在帶方東南大海之中依山?為國邑舊百餘國漢時有朝見者今使譯所通三十國

 ※倭人は、帯方郡からみて東南の大海に浮かぶ山国に住みつき、昔は百余の国をつくていた。
漢の時代に朝貢する国があった。今は使節を寄越してくるのは、以下の行路文に列挙する三十カ国である。
「今使譯所通三十國」從郡至倭とは、帯方郡を拠点として、その倭(三十国)を巡る路である。

①主行路: 
〈1〉郡ー狗邪韓国路(7000)ー〈2〉対馬海路(1000)ー〈3〉一大海路(1000)ー〈4〉末盧海路(1000)ー〈5〉伊都路(500)
ー〈6〉邪馬台路(100里以下)ー女王国内一巡路(道里不明)

           旅程合計:水行十日陸行一月
           距離合計:万二千余里
 その区間路は〈1〉~〈5〉: すなわち、
郡~〈1〉~狗邪韓国~〈2〉~対馬国~〈3〉~一大国~〈4〉~末盧国~〈5〉~伊都国(郡使が常駐する所)~〈6〉~邪馬台国~道里不明~廿一国

②~⑤分岐路: 奴路、不彌路、投馬水路の三本
                  ┌─②─奴国
  ──伊都國(郡使が常駐する所)──├─③─不彌國
         |        └─④─投馬国
         └─①6─邪馬台国─①7行路(残り二十一国巡り)

①-1 最初の区間路(帯方郡~狗邪韓国): 狗邪韓国路
 原文: 「從郡至倭循海岸水行歴韓国乍南乍東到其北岸狗邪韓國七千餘里」

 從郡至倭の「倭」とは、この句の直前の「今使譯所通三十國」(今、施設を遣わしてくる三十の国)である。
 ※この主行路①のうちの区間路〈1〉は、郡を拠点にして、水陸を経由して
  朝鮮半島北岸の倭人の最初の国の狗邪韓国までの主行路①-〈1〉は七千余里とする記述である。

①-〈2〉 二番目の区間路:(狗邪韓国→対馬国): 対馬海路(海峡横断路)
 原文 「始度一海千餘里至對海國」
   其大官日卑狗副日卑奴母離所居絶?方可四百餘里
   土地山險多深林道路如禽鹿徑有千餘戸無良田食海物自活
   乗船南北市糴

  ※は朝鮮半島北岸の狗邪韓国から主行路①は、海路横断千余里の対馬ルートである。

①-〈3〉 三番目の区間路:(対馬国~一大国): 一大海路(海峡横断路)
 行路原文 「又南渡一海千餘里名日瀚海至一大國」
   官亦日卑狗副日卑奴母離方可三百里多竹木叢林有三千許家
   差有田地耕田猶不足食亦南北市糴」

  ※主行路①は、再び南に千余里横断するルートの一大ルート(区間路〈2〉)である。
   ここの区間は、「南」が入っている。南以外にも分岐ルートがあったと思われる。
   (すなわち、別ルートもしくは倭人三十国以外の国へ向かうルート)


①-〈4〉 四番目の区間路:(一大国~末盧國): 末盧路(横断路)
 行路原文 「又渡一海千餘里至末盧國」
   有四千餘戸濱山海居草木茂盛行不見前人
   好捕魚鰒水無深淺皆?没取之

  ※主行路①は、また海路を千余里横断し、九州北岸に到着する末盧ルートである。

①-〈5〉 五番目の区間路):(末盧國~伊都國)=伊都路=郡使常駐の地
 行路原文 「東南陸行五百里到伊都國」
   官日爾支副日泄謨觚柄渠觚有千餘戸丗有王皆統屬女王國
   郡使往來常所駐

   ※九州北端の地、末盧から主行路①は、東南方向に沿岸陸路をとる伊都ルートである。
     ここでも東南の方位が記述されている。西南もしく西行の分岐路が別にあったと類推される。
     伊都國は、郡使の「駐在事務所」があるところである。したがって、中国人にとっては、
     倭国内の基準となる箇所である。「到伊都國」の到が使用されている由縁である。

①-〈6〉 六番目の区間路):(伊都國~邪馬台國)=邪馬台路=女王が都をおいている所
     ここまでが、道里判明している区間路である。女王国以北は道里不明区間であり、
     国名を羅列し、一巡して最後に、分岐路②の奴国を道順を記述している。
     至邪馬台国水行十日陸行一月は、主行路①の六つの区間路の旅程である。
     邪馬台国畿内説のような伊都國→女王国=水行十日陸行一月とする解釈は
     完全な誤解釈である。
     女王国までの距離は、距離不明区間路の最後に、「万二千余里」と明記している。

② 主行路終点(郡使常駐地)伊都國から東南に分岐する「奴」路
 行路原文 「東南至奴国百里」
   官日?馬觚副日卑奴母離有二萬餘戸

   ※主行路①上の郡使の駐在事務所から外れて、東南に向かう分岐路②の奴ルート;
    原文語順の末尾句「百里」の至奴国が次のルートに起点になることなどあり得ない。
    「至奴国」とは、伊都国から(from)奴国まで(to)百里の文である。
    英語で表現すれば、it is 100ri from ITO south-east to NA.に相当する表現である。
    決して、奴国に到着したなどとはならない。したがって大和説」は、原文をきちんと
    読めば到底ありえない説である。

   ここは 「郡使往來常所駐」東南至奴国百里の記述になっている。
   起点からの「方位」を冠した記述である。すなわち分岐を示す行路の記述である。
   奴国の次も、またその次も方位を被せた行路の記述であり、各行路の次に
   国名が後続しない限り、分岐路であり、末端路である。
   邪馬台国路のみが、その後に国名が後続しており、これが主行路である。

③ 主行路の郡使常駐地点の伊都國から東に分岐する「不彌」路
 行路原文 「東行至不彌國百里」
   官日多模副日卑奴母離有千餘家

   ※上記、奴ルート②の記述とほぼ同一である。
     東 「行」が入っているので、伊都國から百里進んだという古田説があるが
     これは、起句、条件句、結句のうちの条件句である。単に東に行く奴国までは
     の単なる条件句の表現である。

④ 主行路終点(郡使常駐地)伊都國から南方面分岐「投馬」水路
 行路原文 「南至投馬國水行二十日」
   官日彌彌副日彌彌那利可五萬餘戸

   ※主行路①上の郡使の駐在事務所から遠く南方面にある投馬国までのルート;
     すなわち伊都国からすぐに南に向かう路とは限らない。「south to TUMA」の
     意味である。水行20日で行く分岐ルートである。
    
①-〈6〉 主行路(郡使常駐地)伊都國から南方面に直進する主行路の邪馬台路
 行路原文 「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」
  ※この水行十日陸行一月は、①郡から主行路のみの所要日数である。
   官有伊支馬次日彌馬升次日彌馬獲支次日奴佳?可七萬餘戸

   ※主行路①上の伊都國から南隣に位置する邪馬台ルート〈6〉の区間路である。
    水行十日陸行一月は、当然、主行路①の所要日数である。ここは距離表現ではなく、
    旅程表現であることに留意する必要がある。
    距離表現は、行路記事の締めくくり句として、道里の判明している主行路〈1〉~〈6〉まで
    「郡から女王国まで万二千余里」として明記している。

①-7 邪馬台国以南の道里不明の主要路区間(二十一国)
 行路原文 自女王國以北其戸數道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳
   「次有斯馬國次有巳百支國次有伊邪國次有都支國次有彌奴國次有好古都國
   次有不呼國次有姐奴國次有對蘇國次有蘇奴國次有呼邑國次有華奴蘇奴國
   次有鬼國次有為吾國次有鬼奴國次有邪馬國次有躬臣國次有巴利國
   次有支惟國次有烏奴國次有奴國」

   此女王境界所盡(女王国の尽きる所)
  ※道里が不明な主行路区間

 行路記事原文:
   其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王 
──────────────────────────────────
 行路原文 「自郡至女王國萬二千餘里」


  1. 2018/05/23(水) 17:47:18|
  2. ④魏志倭人伝:

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Zac_Nakano (zac03409@gmail.com)

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