Lunguage Plaza 外国語語順訳散策

散策路三本:①露語国際時事ニュース見出し(左側通行→右側通行へ);  ②倭人伝語順読法─女王国への道; ③ 江戸東京街道散策路

魏志倭人伝:陳寿里程記事の語順語法→スケッチ図

魏志倭人伝: 陳寿の二種類の
行程文とその語順語法



著者陳寿は、魏使の情報をもとに、使訳を通じている
「倭地三十国」の一巡ルートを
「従郡至倭」として「倭三十箇所スケッチ図」を作成し、手元に
下記のような図をおいていたと思われる。

仮想陳寿スケッチ

帯方郡から邪馬台国(糸島南地域)までの道のりは、二種類の里程文
(語順語法に基づく)を用いて、順次進路行程を描写している。

なお、
A.狗邪韓国→伊都国までは、本ルート(「中継起点」─進路距離=行先)
の進路表現であり、道案内の記述である。
B.伊都国では、三本の分岐ルート(「分岐起点」─「至点」=「距離」で
分岐を案内している。伊都国からの既知三本の行路を示している。
C.次いで、本ルートである伊都国→邪馬台国への道案内である。
D.里数記事の最後は、本ルート基点(郡)から女王国までの所要日数を
描写している。
E.邪馬台国以降は「道里」不明なため、単に「次有国」を数珠つなぎにして、残りの
ニ十一国を案内している。

二種類の里程文要素句と語順

①「基点」(原文では自明のためすべて省略)・・・・前提句
   |
  「至点」・・・・・・条件句
=────────────────────
  「距離」 ・・・・結語句(次の行路の前提句:
          ただし、数値のときは、次に数値が後続しないときは接続不可)
          つまり、
          奴路=百里(百里の奴路)、
          不弥路=百里(百里の不弥路)、
          投馬水路=水行二十日(二十日間かかる投馬水路)
          原文は、そのまま連続する文には決してならない。
          上記3つの行路は、すべて結語句「伊都国」を前提とする
          表現になっている。
          これだけで、この行路部分をつなげている最有力説
          邪馬台国=畿内大和説はまったく成立しない。


②「中継起点」  ・・・・ 前提句
   |     (いわば、巻尺テープの繰り出し長さとその先端到達地点)
   |     狗邪韓国→伊都国→邪馬台国までの本ルートの行路表現は、
   |     条件句の距離案内ではなく、結語句の行先案内表現である。
  「距離」・・・・・・・・・・ 条件句
=─────────────────────────
 「至点」 ・・・・・・・・・・ 結語句

■邪馬台国=畿内大和説の基本的誤り
  南至邪馬台国=水行十日陸行一月の行路文とする定説の読み方は
  誤りである。
  南とあるので、起点は、確かに「伊都国である。
  伊都国を中継基点として本ルートが
  「南進最小記載距離(百里)至邪馬台国」の一文である。

  水行十日陸行一月の「前提句」と「条件句」:
  ○前提句:
   伊都国ではなく、冒頭に出てくる「従郡至倭」の「従郡」、
   すなわり本ルート基点の帯方郡である。
  ○条件句:
   「従郡至倭」の「至倭」、すなわち倭地三十国一巡の道である。
  
  ○「女王之所都」と「水行十日陸行一月」は、「所」で区切られている。
   「所」の語句は
    行路記事では、「所」は区切り句として使用されていることに注目する
    必要がある。
   ※倭人伝行路記事に記述されている「所」をすべて拾い出してみよう。
      ・今使譯所通「三十國」→從郡至倭(倭人伝冒頭部分)
      ・所居絶島→方四百里(対馬国)
      ・郡使往來常所駐→東南至奴國百里(伊都国)
      ・女王之所都→水行十日陸行一月(邪馬台国)
      ・此女王境界所盡→其南有狗奴國(行路記事末尾)
      →所に後続する語句は、基本的手に別文に移行している。

     つまり、
     南至邪馬台国女王之所都の前提句は、伊都国であり、
     水行十日陸行一月の前提句は、上図からわかるように
     「従郡至倭」の倭一巡本ルート(三本の分岐路を除く)だということである。
     ○ 「従郡至倭」(循海岸水行・・・・女王之所都)水行十日陸行一月
      国別行路は、カッコの文と見るとわかりやすい。

魏志倭人伝原文行路記事:

■倭地定義文」
「倭人」
   在帶方東南大海之中
   依山島爲國邑(舊百餘國)
   漢時有朝見者
   今使譯所通「三十國」

①郡→倭人三十國めぐりルートへ:(【行路】:原文の行路記事)
 【從郡至倭】

②狗邪韓国ルート
 【循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里
・・・・・・・・・・この条件句:至地名=累計数値の語順は、
        ルートの始端または終端路を記述している。
        したがって、連結可能な地点は、前提および条件句の内の
        一地点のみである。

③対馬ルート(朝鮮海峡横断+方四百里二辺巡り)
 【始度一海千餘里 至對馬國
  其大官曰卑狗 副曰卑奴母離
  所居絶? 方可四百餘里 土地山險 多深林 道路如禽鹿徑
  有千餘戸 無良田 食海物自活 乗船南北市糴

・・・・・・・・・・地名(または数値)─距離─至地名語順の行路は
        ルートの連結区間である。
        方四百里は、一海(朝鮮海峡)と一海(対馬海峡に
        挟まれた空間距離を示している。
        当然、ルートとして海峡横断ルート同士をつなぐ二辺の
        距離を加算する必要がある。

④一支ルート(対馬海峡横断+方三百里二辺巡り)
 【又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國
  官亦曰卑狗
  副曰卑奴母離 方可三百里 多竹木叢林 有三千許家
  差有田地 耕田猶不足食 亦南北市糴

・・・・・・・・・・上記の対馬ルートと基本的には同一である。
        方三百里の空間の南北(上下)は、対馬海峡と
        壱岐水道である。

⑤末羅ルート(壱岐水道ルート)
 【又渡一海千餘里 至末廬國
  有四千餘戸 濱山海居
  草木茂盛 行不見前人 好捕魚鰒 水無深淺 皆沈没取之


⑥伊都ルート(九州北岸陸路)
 【東南陸行五百里 到伊都國
  官曰爾支 副曰泄謨觚 柄渠觚
  有千餘戸 丗有王 皆統屬女王國 郡使往來常所駐

⑦奴ルート(伊都分岐ルート)
 【東南至奴國百里
  官曰?馬觚 副曰卑奴母離 有二萬餘戸

⑧不弥ルート(伊都分岐ルート)
 【東行至不彌國百里
  官曰多模 副曰卑奴母離 有千餘家

⑨投馬水行ルート(伊都分岐ルート)
 【南至投馬國 水行二十日
  官曰彌彌 副曰彌彌那利 可五萬餘戸

⑩邪馬台国ルート(伊都から本ルート)
 【南至邪馬壹國
  女王之所都

⑪郡ー邪馬台国本ルート
 【水行十日 陸行一月
  官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳? 可七萬餘戸
  自女王國以北 其戸數道里可得略載 其餘旁國遠絶 不可得詳


⑫道里不明ルート(邪馬台国以降)
 【次有斯馬國 次有已百支國 次有伊邪國 次有都支國 次有彌奴國
 次有好古都國 次有不呼國 次有姐奴國 次有對蘇國 次有蘇奴國
 次有呼邑國 次有華奴蘇奴國 次有鬼國 次有爲吾國 次有鬼奴國
 次有邪馬國 次有躬臣國 次有巴利國 次有支惟國 次有烏奴國
 次有奴國】
(=伊都国から東南の奴国)
  此女王境界所盡

⑬女王国境界外
 【其南有狗奴國
  男子爲王 其官有狗古智卑狗 不屬女王

⑭郡→女王国(および統属含む)国ルート
 【自郡至女王國 萬二千餘里

■原文の行路別分析

「倭人」
  在 帶方東南大海之中
  依山島爲 國邑(舊百餘國)
  漢時有 朝見者
  今使譯所通 「三十國」

 ※この冒頭文は、倭人に関するいわば定義文である。
  冒頭の「倭」人と、文末の使節をよこしてくる
  女王国に入らない狗奴國を含めた「三十國」が、
  陳寿が取上げている「倭」である。
  これが次の文の「從郡至倭」の案内文になっている。

①郡→倭人三十國めぐりルートへ:
 「從郡至倭」
  現代の札所巡り風に、表現すれば、陳寿の根拠地
  帯方郡から「倭地三十箇所札所巡り」と同義である。
  「倭地一巡のみち」は、
  郡から邪馬台国およびそれに後続する諸国(次有国」
  の道である本ルートと魏使の駐在する伊都国で
  三方面に分岐する分岐ルートについて、そこへの
  方向と距離を描写している。
  ※一般的には、「従郡至倭」は、郡から女王国と
   解釈されているが、これは誤解である。
   三十国案内の道である。
   行程記事最後の「自郡至女王国万二千余里」は、
   三十国の中の中枢の女王国まではと限定した
   表現である。したがって、投馬国までのルートは
   そこには含まれていない。

②②狗邪韓国ルート
 循海岸水行 歴韓國 乍南乍東 到其北岸狗邪韓國 七千餘里

①韓国

この行路文の三要素(前提・条件・結語)
(従郡)「到狗邪韓国=七千余里」である。
陳寿のこの記述は、実地踏査を描写しているのではなく、
机上の「倭地三十国一巡スケッチ図」をペンと定規で追っているのである。
したがって、通説では「韓国海岸水行説」が有力な説のようだが、
「方四千里」と定義されスケッチ図を見る限り、そのような論は成り立たない。
ここの行路文お最重要句は「七千余里」である。八千余里ではないのである。
つまり、「歴韓国」とは、歴訪・歴欧などの表現のように「あちこち巡る」の
表現である。韓国の地を斜めに南・東を繰り返して縦断した表現である。
それゆえに「七千余里」である。

③対馬以降の進路記事

対馬ー伊都
  1. 2017/02/16(木) 09:30:38|
  2. 語順誤報:魏志倭人伝

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